野にイケンあり〜ジャーナリスト武田一顕が詠む時政

政局や中国について【野の意見】を個人の備忘録として書き連ねる。 よろしくどうぞ。

権謀の 思惑挫く 理想かな

 

令和、あけましておめでとうございます。

なんとなく、そういう雰囲気の皇位継承だった。

上皇の皇太子時代から天皇時代への歩みを

テレビなどで見ていて、

ふと上皇と中国の関係について気になった。

 

 

1992年10月、

天皇(以下当時)は中国を訪問した。

北京、西安、上海3都市への旅。

中国は第二次世界大戦において

アジアで最大の人的被害を被った国だ。

当時、日本では保守派の中に

天皇訪中への反対論が根強かった。

いわく、謝罪外交だ!

いわく天皇の政治利用だ!などなど。

 

中国側は、表面的には友好親善を深める訪問と

猫をかぶっていたが、

実は天皇訪中を政治的に利用しようと

周到に準備していた。

と言うのも、さかのぼること3年半前。

天安門広場に向けて戦車を進撃させ、

人民解放軍が一般市民を多数殺傷した

天安門事件が起きた。

中国市民の抑圧された状況に

怒りを隠さなかった欧米先進諸国は、

経済制裁とともに要人の交流などを停止した。

そんな、天安門事件の記憶が生々しいうちに

天皇初の中国訪問は行われたのだ。

 

当時中国の外相だった銭其琛回顧録の中で、

天皇訪中が実現すれば、西側各国が科した

中国指導者との交流禁止令を打破できる」

と考えたと、2003年に書いている。

中国は、天皇訪中を存分に利用したのだ。

日本国内の保守派は、銭其琛の文章を読んで

再び激高した。

 

ただ、今にして思うと、

天皇は中国側の意図など百も承知だったと

思わざるをえない。

それでも、昭和天皇以来の重い宿題・・・

戦火を交えた日中両国の和解と

中国の地で亡くなった戦没者への慰霊、

中国人犠牲者への哀悼を

天皇はなんとしても成し遂げたいと

考えていたのではないか。

もちろん訪中自体は内閣が決めたものだが、

中国を訪れたいという天皇の意思は

在任時代の日本各地や世界各地への訪問を見れば

一目瞭然だ。

中国側の政治的意図なんて、

こうなるともうどうでもよい。

崇高な理想を追い求める行動は

一時の政治的思惑なんて

吹き飛ばしてしまうものだと、

上皇の軌跡を見ていて強く感じた

平成から令和への改元だった。

 

 

近視眼的な政治家諸兄にも見習ってほしい。

「政治という仕事は、

情熱と判断力の両方を使いながら

堅い板に力をこめて、

ゆっくり穴を開けていくような仕事だ」

ウェーバーの言葉は、

何も政治に限ったことではない。

そして、象徴としての役割という仕事も、

同じようにゆっくりゆっくり穴を開けてきた

遠大な作業だったと感じるのだ。

一枚に ならずば せめて 石垣に

失言を繰り返した

桜田義孝・前五輪担当大臣が辞任した。


政治家の場合、失言と言うのは

ほとんどがその人の心の声であり、

一部が言い間違いであると、私は思っている。


庇うつもりは毛頭ないが、桜田の場合。

競泳の池江選手が

白血病を公表したことについて

がっかりと発言した。

美人で有望な競泳選手が東京五輪

出場できない可能性があることに対して、

世間にはがっかりと感じる人も

かなりの数いるのが現実だろう。


そして、USBを使ったことがない発言。

桜田は69才。

そういうおじさん、いやおじいちゃんもいる。


極め付け、

復興以上に大事なのが高橋議員と言う当選発言。

政治家にとって最も大切なのは、

選挙に勝つこと。本音が出た。

復興のためにも高橋議員の当選が大事と

言っておけば『正解』だった。


一方で、いしまき市とかレンポウとか

1500円は言い間違いの部類。


塚田・前国交副大臣の忖度発言も、

事実を言ってしまったが故の更迭だった。

TPOをわきまえないで

「本心」を言うと、炎上する。



塚田と桜田の辞任で、

立憲民主党の辻元国対委員長

安倍政権の辞任ドミノが始まったと話していた。

しかし、第一次安倍政権で

辞任ドミノが起きたときは、

野党が民主党中心に堅固な一枚岩だった。

今はバラバラ。

枝野総理を期待している人は

一体どれほどいるのか。

だから、安倍政権は安泰。

要はダメージコントロールで、

夏の参院選でできるだけ議席を減らさないことに

腐心しているだけ。

自民、公明の与党が過半数を失って

政権運営が危機に瀕するなんてことは

絶対にない。

マスコミが安倍政権の危機だと

煽れば煽るほど、

自民党はがっちりと揺るがないものになり

参院選ではそれほど負けないだろう。


このままでは、野党は一枚岩になれないどころか

大小の岩としてゴロゴロと転がり、

ぶつかっては小さな石へと砕け散る。

せめて、積むことで守りを堅める

石垣くらいにならねば、未来はない。

枝だけが 伸びて荒れゆく 野の景色

統一地方選挙の投開票が行われ、

自民党が圧勝した。

当然だ。

野党がバラバラで勝てるわけがない。


『北海道知事選挙では野党共闘が実現したが、

オール野党推薦の石川知裕

勝てなかったじゃないか!』

そう考える方もいるかもしれない。

北海道の有権者はアホではない。

石川への推薦はかりそめのことで、

野党が本気で共闘していないことくらい

百も承知。

こういう場合、

野党が本当に団結していれば、

野党の党首がそろって街宣車の上に居並んで

順に演説するものだ。

石川サイドは、何とか野党の全党首に

並んでもらおうとしたが、

立憲民主党が難色を示したという。


より深刻なのは、11の知事選挙のうち

福井、島根、徳島、福岡の4県で

自民党内紛により保守分裂選となったにも関わらず、

野党は一人も知事当選者を出せなかったことだ。

当選者を出せないというより、

候補者を出せない不戦敗だった。

なお、大阪では知事と市長のW選が行われたが、

維新は安倍政権の補完勢力なので

野党としてカウントしない。


 

権力が分裂しているときは、

在野の勢力が時の政権を倒す最大のチャンス。

これは古今東西、歴史の要諦だ。

ただ、前提条件は、在野勢力がまとまること。

もともと弱いから、野党のくせに分裂すれば、

ますます弱くなる。


野党、特に第一党である

立憲民主党枝野幸男代表は、

選挙結果の惨憺たるありさまを見て、

改心するだろうか。

そもそも、惨憺たる結果という総括が

できるだろうか?


政党が違えば、政策は違う。

しかし、野党である限り、

どんなに大きな声で叫んでも

その政策は実現しない。

政権を奪うためには、

妥協しながらできるだけ大きな勢力を築き、

政権に対抗する力を蓄えるのだ。

Politics of Compromise

=「政治とは妥協である」

という言葉さえある。

立憲民主の政策に賛同するのであれば共に戦う!

なんて言ってたら、

立憲民主以外の政治家は引いてしまう。


安倍政権を見よ。

大嫌いな中国共産党政権とも握手し、

北朝鮮金正恩委員長には秋波さえ送っている。

靖国に参拝もしていない。

消費税率は一度上げたが、

その後改心して凍結したまま。

妥協と譲歩を重ねてきたが、

対立する野党がアホでまとまらないから、

いまだに高い支持率を誇っている。

 


諸葛孔明が最も敬愛した

中国春秋時代の大政治家、管仲は言った。

「取ろうとするならまず与えよ」


7月には参院選がある。

立憲民主党の枝野は、過半数を取れるだけの

選挙区に公認候補を立てられるのか。

単独候補と野党共闘候補を合わせれば

過半数以上だとかなんとか言って

胸を張ったとしても、有権者はバカじゃない。

本気で選挙協力していないなんてことは

すぐにわかる。

 

塚田一郎・前国土交通副大臣が、

安倍総理と麻生副大臣に忖度して

二人の地元を結ぶ橋の建設を進めたという、

真っ正直な発言をしてくれた。

彼は副大臣を辞任したが、

選挙では自民党が大勝。

忖度して予算が使われてもいいんだよ、という

国民の意思表示になった。

…そんなことはない!

と色をなして反論する人もいるかもしれないが、

選挙とはそういうものだ。

忖度には、まあ目をつぶろうというのが民意。

野党よりは忖度政治の方が

まだマシと思っている人が多いから、

この統一地方選の結果になる。

 

安倍政権の最大の製造元は野田佳彦前総理だが、

安倍「長期」政権の最大の立役者は、

今のところ枝野幸男だろう。

統一地方選でも、野党が団結しなければ

選挙に勝てない構図が改めて示された。

政権交代しないと長期政権は必ず腐敗する、

というのも歴史の教訓。

 

枝野が改心しなければ、

参院選の投開票日は

日本の議会政治、政党政治

葬送日になるかもしれない。

字が示す 最初の例は(れいわ)ゴーンかな

『令和』の英訳は、beautiful harmony。

外務省が発表した。

 

私は英語については門外漢だが、正しくは

ordered beautiful harmonyではないか。

orderedには、秩序だったという意味がある。

例えば『令嬢』は、ただの美人ではなく

躾のあるお嬢さまというニュアンス。

『令和』も、統制がとれて秩序だった

美しき調和と言う意味ではないだろうか。

ハミ出す者は許さんと言う意味合いも感ずる。

 

 

元号が発表されてから4日目。

ハミ出し者を許さない日本的精神を

象徴するようなことが起きた。

 

ゴーン4度目の逮捕。

 

保釈中の被告をもう一度、同じ流れの事件で

逮捕するというのはかなり驚いた。

いつもは飄々とした語り口の弘中弁護士が

会見で唇を震わせていた。

 

日本の検察はこれまで、数々の事件を

でっち上げてきた。

就中、東京地検特捜部は戦前はおろか戦後も

あとから考えると何が悪なのか理解に苦しむ事件で

数多くの人権を奪ってきた。

例えば、ロッキード事件

罪状が移ろい移ろった挙句、

田中角栄が亡くなったため

20年も経ってやっと判決が確定。

どんなに際どい裁判でも、国より先に死ねば

有罪確定なのだ。

 

ゴーンを逮捕する日本は、

先進国としては異様である。

それは欧米メディアが

こぞって批判していることでも分かる。

一方で中国メディアはあまり報道していない。

そりゃそうだ。

中国では、人権侵害で市民を逮捕するのは

よくあること。

そして、ゴーン逮捕が人権侵害だと

国民に知れたら、中国共産党には不都合だ。

 

先進国とは、

政治が軍部の台頭を抑えるのはもちろん、

警察や検察の逮捕権も制限するのが役割。

大統領経験者をすぐに逮捕しちゃう韓国や

首相を事実上、国から追放しちゃうタイが

先進国になれないのは、この理屈だ。

 

検察が跋扈するような国は、衰退していく。

他の人と違う、ハミ出す人間を

異端視する空気が醸成されるから。

令和の時代がそうならないことを、心から祈る。

元号と ともに刻む名 菅長官

元号菅義偉官房長官が発表することになった。

安倍総理がやりたかったのだろうが、

いまの自民党は前例主義を壊すことができない。

この場合の前例主義は、

官僚主義とほとんど同じ意味だと考えてよい。

 

 

かつて先輩から聞いた話だ。

「平成おじさん」「平成長官」と呼ばれた

小渕恵三・元総理は、1987年から89年まで

竹下内閣の官房長官を務め、

毎日のように記者会見をした。

しかし、会見が終わってしばらくすると

事務方から紙やスピーカーで

「先ほどの官房長官会見で、

△△の部分は誤りでした。正しくは〇〇です」と

頻繁に訂正が入る。

先輩たちは、仲間と

「これじゃ、ヘイセイ長官じゃなくて、

テイセイ長官だわな」と揶揄していたそうだ。

そして、当時は竹下登総理が

強力なリーダーシップを発揮し、

官房副長官には剛腕で鳴らす小沢一郎がいた。

「平成」という元号発表がなければ

官房長官としての小渕の名は、

殆どの人の記憶から消えていたかもしれない。

 

 

それに比べ、在職日数で一位の記録を更新中の菅は

名実ともに、敏腕長官の一人として

政治史に名を刻むのは間違いない。

 

菅は酒を飲まないことで知られている。

朝食から始めて一日に4件も5件も会食をハシゴし、

人の話に耳を傾けるそうだ。

しかも、話の内容をよく覚えている。

政治家だから当たり前と思うかもしれないが、

そんなことはない。

彼ら彼女らも人間だから、

酔って話したことなどはよく忘れている。

菅は酒を飲まずに話しているから

内容までよく覚えているのだろう。

 

また、メディアとの接し方で言うと、

菅の凄みはメディアの偉い人たちと

頻繁に会食を重ねるところにある。

元J通信のT氏は有名だが、

テレビ局の社長、会長ともよく会っている。

トップを捕まえておけば、

所詮サラリーマン記者の連中は

言うことを聞くだろうという算段で、

実際にそれはかなり成功している。

 

安倍政権の火種になるものはあらかじめ

できる限り潰すべく、

四方八方にニラミを利かせてきた菅官房長官

4月1日11時半。

脇を固める役者から、成田屋ばりの千両役者へ。

菅の、一世一代の大舞台の幕が上がる。

いしばしは アクセル踏んで 渡るべし

自民党石破茂・元幹事長が

知事選真っただ中の福岡県に入った。

福岡県知事選で自民党は現職への推薦をやめて、

新人を推薦。

地元である麻生太郎が現職を嫌い、

新人推薦をゴリ押ししたということで

保守分裂選挙となっている。

朝日新聞によると、

同じく福井、島根、徳島でも

自民党組織が割れていることを受け、

石破は福岡市内で記者団にこう述べたそうだ。

 

「分裂の様相を呈している県は

それぞれの事情があり、

ひとくくりにして論じるのは難しい。

だが、我が党としていかに一丸となって

県民のためにやっていくのか、

国会議員も県会議員も市町村会議員も

その原点に戻んなきゃいけない。

世の中きれいごとばっかりでは済まなくて、

いろんな県議会のポストを巡る争いも

あるんでしょ。

県民からどう見えているんだろうかと思います。

あまりに(自民党系の)勢力が大きくなって

野党が弱くなっちゃうと、

エネルギーが内輪のいろんな争いに費やされる。

自民党一強状態がこういうことを

もたらしたとすれば、

党内に緊張感を持つ努力を

作為的にやっていかないと

県民の支持を失うことになりゃしないかなと

思っている。」

 

さて、石破のこの言葉の

特に後半部分を聞いての反応は、

大体次の3つに分かれるのではないだろうか。

 

・・・・

 

①その通り。党内に緊張感がないから、
保守分裂選挙になるのだ!

 

②石破さんもスポットライトが当たらないから、
負け惜しみか~

 

③石破さん意味不明。
野党は弱いし、自民党同士で争うのは結構なこと

 

④何も感想を持たなかった。

 

・・・・


①の反応だった方。バランス感覚が優れている。

野党支持または無党派かもしれないが、

自民党支持者であっても今の政治に

危機感を持っている真っ当な考え方の人だろう。

 

②の反応だった方。ちょっとイジワルですね。

間違ってはいないでしょう。

安倍4選が言われ始める中、

62歳の石破が焦らないわけがない。

チクリチクリと執行部批判をして、

自分に光が当たるようにしている。

 

③の反応だった方。石破嫌いか安倍シンパか。

自民党同士で争うというわかりにくい選挙の後、

当選した方がなんとなく自民党

なびいていくといういつもの構図を

肯定的にとらえているとしたら、

政党政治を否定していることになる。

それとも野党のふがいなさに憤慨しているのか。

そうだとしたら、なかなかの政治通だ。

 

④の反応だった方。

当ブログを読んでいるうちに、

だんだん感想が出てきます。

わからなかったら、

リアクションをいただけると助かります。

よりわかりやすく書いていきませう。

 

 

石破は、今の自民党の中でも

最も言葉を大切にする政治家の一人だ。

幹事長として、2012年の自民党復権選挙と

翌年の参院選を勝利に導いた立役者でありながら、

今はハブにされている。

内閣総理大臣の指名選挙で安倍に投票した以上、

あからさまな批判はできないが、

今の自民党でいいとは思っていない。

慎重な姿勢ばかりが目だつ岸田政調会長のように

していたら干し上げられてしまうのは、

火を見るよりも明らかだ。

さて、どうやって安倍から政権をもぎ取るのか、

もぎ取れるのか?

 

大野伴睦河野一郎から、加藤紘一まで。

自民党の歴史上には、あと一歩で総裁・総理の座に

及ばなかった政治家が数多並んでいる。

今のような生ぬるい批判の仕方ではなくて、

どこかの時点で、強烈な執行部批判の

アクセルを踏まなければ、

石破も彼らの二の舞になることは間違いない。

2001年の小泉フィーバーは

田中角栄竹下登と続く経世会支配に

倦んでいた人たちの熱狂だった。

今の清和会支配も、森政権、小泉政権から数えて

そろそろ20年。

清和会支配に飽きた民衆の支持が石破に向けば

次の総裁も、夢ではないかもしれない。

政界を 去るか 勝負の 駿河猿

細野豪志への批判が止まらない。

朝日新聞は16日付で、

「漂流する細野氏 『民主のホープ』は

メンツ捨て自民へ」との記事を配信。

テレビも挙って特集している。

私からすると、

みんな細野を好きなんだなと

しみじみ思ってしまう。

 

 

2014年と2017年の衆院選

静岡5区で細野は、比例復活も許さないほど

自民党公認の吉川赴を落選へと追いやった。

しかし、その吉川が今月、

名簿上位の議員が辞職したことに伴い

バッジを着けることになってしまった。

自民党では本来、

比例復活もできない落選が2回続いた候補は

次の選挙で公認しないという内規がある。

だから、細野の目算では

吉川は次期衆院選で公認対象にならず、

それが自民党入りするための

一つの弾みになるはずだった。

それが現職議員となると、話は一変する。

次の衆院選で吉川が党公認となることは確実だ。

つまり、細野は無所属での戦いを強いられる。

 

窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと

前回のブログで書いたが、

二階はただのお人好し爺さんではない。

これから、政治資金をはじめとする

数々のノルマを細野に課してくるだろう。

それをいちいち細野は

支援者に説明していかなければならない。

なんと骨の折れることか。

ご同情申し上げます。

 

だが…ひとつの真実がある。

政治家は、選挙に受かればいい。

 

部下の役人を罵倒して辞任に追い込まれた

兵庫県明石市泉房穂・前市長が17日、

出直し選挙で当選し、復活した。

件の罵倒について問われたら

これからも謝り続けるだろうが、

心の中では一件落着と考えているに違いない。

選挙に受かれば、禊は終わる。

選挙とはそういうものだ。

 

逆もまたしかり。

衆議院議長自民党副総裁を務めた

大野伴睦はこう言った。

サルは木から落ちてもサルだが、

代議士は選挙に落ちたら、ただの人。

 

細野は次の選挙が剣が峰。

7月に行われる参院選と同じ日に

衆議院解散総選挙が行われるとの声も

聞かれるようになった。

来るべき選挙で、細野の政治家人生が決まる。

ただの人となって政界を去るか、

禊を済ませ、峰を踏破するサルとなるか。

 

サル回しに捕まって、あやつられないことだけを

切に願う。